改めて考える「甲子園」の価値

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「そんな土」の意味

新型コロナの影響で5/20に全国高校野球選手権大会の中止が決定されてからも甲子園関連の話題はつきないが、先般興味深いニュースがあった。それは、2ちゃんねる創設者の西村博之氏(ひろゆき氏)がテレビで、阪神と甲子園球場が全国の野球部員に「甲子園の土」入りキーホルダーを贈るニュース(ドットコムニュース)について発言したものだ。

「甲子園の土」入りキーホルダーは、阪神の矢野監督を中心に考案され、製作費の一部を監督、コーチ、選手が負担して全国の3年生高校球児に贈られるとのことだが、これに関してひろゆき氏は「そんな土もらってうれしいのかな?」と発言した。その場にいたアナは「何でそんなこと言うんですか!よくないですよ」と諭し、その後ひろゆき氏のコメントに非難が殺到した(Yahooニュース

ネットでの主なコメントを見ると、「子供たちの思い出になるはず、喜ぶ球児をバカにしている、そういう(土を贈るという)気持ちが嬉しい」などなど。正直これについてはかなりの違和感を感じた。違和感とはひろゆき氏の発言ではない。自分もひろゆき氏と同じ疑問を感じたからだ。

物議をかもしたこの発言のポイントは「そんな土」というワードだと思う。察するにひろゆき氏は甲子園の土自体を、「そんな土」と揶揄したわけではなく土の意味に言及したのだと思う。あたり前だが甲子園の土から砂金が出るわけではなく、甲子園であろうがどこであろうが「土」それ自体に価値はない。

もともと無価値なものに価値が生まれるのは苦労して努力してそこにたどり着いた結晶、証になるからだ。甲子園球場に旅行に行ってそこで土を拾ったとしても、球児たちにとってその「土」に価値は生まれない。

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甲子園出場校1%の持つ意味

甲子園に出場できる高校は春32校、夏49校であり、地方大会の参加校約全体4100校の1%前後だ。そこにたどり着くのは、チームも自身も努力に努力を重ね、そして運も見方につけたごくごく限られたチームだけである。ひろゆき氏の言った「そんな土」の意味は、苦しい思いをし、努力し地方大会を勝ち上がっていない、という意味ではないかと思う。

あえて言うなら、高校球児もその「土」自体を嬉しいとは感じないのではないかと思う。全国の3年生球児に贈ると言うが、春に出場が決まっていた32校はまだしも、それ以外の高校球児は実際に勝ち上がって出場権を得ていたわけではない。それなのにそれをもらって喜ぶべき、と思うのはいささか不遜のような気がする。

さらに言えば、その「土」は球場を後にしたら、もう2度と手にいれることができないからこそ価値があるのだと思う。それが証拠に春の選抜大会で負けた高校が甲子園の土を持って帰る姿をあまり見たことがない。それは夏に戻ってこられるかもしれないという可能性を残しているからだ。

もちろん、「土」を自費で贈ろうとした球団の心は美しい。甲子園に出場する選手は小中学校で硬式野球または準硬式野球で練習を積み、高校の3年間を入れると10年近い歳月を野球につぎ込んでいる。努力して戦って掴んだ証と、そこで戦った証、高校球児として2度と手にすることができないからこそ美しい「土」であり、その感情を慮ることも大事ではないかと思う。

このニュースに前後して、夏の地方大会が都道府県独自で開催されること(日刊スポーツ)や選抜出場予定だった32校が8月に甲子園に招かれ交流戦が行われることが発表された(朝日新聞)ことは明るい二ユースだ。3年生球児にとって本当に最後になるこの大会で、つきなみだが力を出しきって欲しいと願う。