日本学術協会問題の経緯
日本学術会議の件が喧(かまびす)しいので、経緯をまとめつつお話しします。
経緯はこんな感じです。
共産党の赤旗が、日本学術協会会員の改選106名のうち6名が改選されず、菅総理が任命を拒否したことについて問題提起
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野党や左派メディアが、「学問の自由」が侵害されたと、任命を否認した理由を明らかにしろと迫る。

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保守層や保守メディアは、否認と学問の自由は全く関係がない。学問の自由を訴えるならば、なぜ公務員になるのだ?(学術協会会員は臨時雇用の公務員)と反論。
この間、下記のことが判明
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『千人計画』
本当に権威ある組織なのか?
その一方で、日本学術会議は、中国の「外国人研究者ヘッドハンティングプラン」である「千人計画」には積極的に協力しているありさまだ。そのために、日本学術会議は、中国共産党軍と関係の深い中国科学技術協会と協力覚書を結んでいる。
(現代ビジネス)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76145?page=4
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河野太郎行革相:聖域なき規制改革に日本学術会議はそもそも入っていた
という感じです。
菅総理の深慮遠望
ことの経緯だけ見ると、菅総理が行き当たりばったりで否認し、野党の批判があってから、「だったらそもそも論としての組織のあり方を検討しようか」というふうに見えますが、多分そうではないでしょう。
最初から菅総理はこの組織の見直しを考えていて、否認というボールを投げ、話題になった頃合いを見て、組織の見直しを発表するということを最初から考えていたと思われます。
もしそうだとすると、この菅さん、とんでもない策士です。
この件、メディアに追及された時も、菅総理は
・10億の税金が使われている。
・前例ありきで良いのか。
・規制改革が必要
と、否認の理由は総体的、俯瞰(ふかん)的とぼかし、「税金、前例にこだわらない改革」と耳ざわりの良い言葉を並べ、国民を見方につける発言を繰り返しました。
すると今まで世論は学術会議は否認理由を明らかにすべきとの流れが変わり、総理支持に傾きました。
自分に不利な質問は交わして、有利な話しに持っていくのはディベートの基本。
メディアも、この菅総理の話しから学問の自由が侵されたというのは無理筋だという流れになってきました。
(ダイヤモンドオンライン)

わたしが寄稿させていただいている、「言論プラットホームアゴラ」の主宰の池田信夫氏も、日本の再軍備を監視する組織への死亡通告だと厳しく指摘しています。
これは「学問の自由」の問題ではない。70年前に占領軍が日本の再軍備を監視する組織としてつくらせた学術会議が、その役割をとっくに終えたのに、いまだに軍備反対の活動をしていることに対する政権の死亡通告なのだ。
— 池田信夫 (@ikedanob) October 10, 2020
総理就任時から、「行政の縦割り打破」や「規制改革」に注力し、特に「携帯料金引き下げ」や「地銀再編」など国民に支持されるようなワードを次々並べていき、携帯料金については大手3社が既に引き下げの検討に入り、実質的に結果を出しています。
(時事通信)

各案件に関して用意周到に準備し、次々に先手を打っています。
菅総理が目指すところ
現在日本には、反日勢力が国民の知らないところでうごめいており、奥深く巣食っています。
日韓議連、日弁連、朝鮮総連等々。そして信じられないことに日本国民の税金は、そういった反日活動に使われていることもあるのです。
例えば、日本学術振興会が公募し、文科省が主管し、費用を配布している「科学研究費助成事業(科研費)」というものがあります。これについて、2年前保守層から科研費が「反日的な研究に使われている」「韓国旅行に使われた」と批判する声が上がり、費用が6億円ということもあり、大論争となりました。
(zakzak)

昨日、NHKを見ていたら19年ぶりに「外事警察」の組織を見直すとのニュースが流れていました。
外事警察とは、日本で活動する外国のスパイや国際テロなどを捜査する外事部門のことです。
警視庁は、ロシアなどを担当する外事1課、北朝鮮や中国などアジアを担当する2課、イスラム過激派などを担当する3課が設置されていますが、来年の4月から外事部門を現在の3課から4課体制に増やし、今はアジア全体を受け持っている外事2課から独立させる形で北朝鮮を専門に担当する課を新たに設置する方針を固めました。
(NHK)

これも菅総理が関係していることは間違いないでしょう。
こういった菅総理のやり口で思い出すのが、秀吉の軍師黒田官兵衛(如水)。黒田官兵衛は、関ヶ原で家康と三成が交戦するのを察すると、隠居していた身から財をすべて投げ打って兵を雇い、軍備を揃え九州を平定してから東に向かい、家康か三成の勝者を破って天下統一をすると言った野望を描きました。
野望は関ヶ原が想定より早く終わってしまったため実現しませんでしたが、戦後東軍についた息子の長政から、「殿(家康)は三度もわたしの手をおし頂いてくれました」と言ったところ、如水は「その時家康殿と握手した手は右手か、左手か」と聞き、長政が「右手でした」と答えると、「その時、そちの左手は何をしていたのじゃ」、(つまりなぜ左手で家康を殺さなかったのか)と言ったと伝えられています。
これは逸話かもしれませんが、いずれにしてもとんでもない知恵者。
菅総理は秋田の農家の次男坊から市議会議員、国会議員を経て官房長官から総理大臣に上り詰めたことは有名です。
地盤、看板、鞄の3つのバンが1つもなく、総理に上り詰めたのは、水面下の駆け引き、根回し、裏工作なんでもござれの如水のような真の策士であったからこそだと思います。
菅総理がどこまでメスを入れるのかはわかりませんが、規制改革の元かなり大胆なことをやってくるのは間違いないと思います。