朝ドラ「エール」で描かれた『長崎の鐘』がヒットした要因

歴史
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長崎の鐘という随筆

今日、NHKの朝ドラ「エール」で「長崎の鐘」という歌が作られた背景について描かれていました。

この歌は、長崎医科大学助教授の永井隆氏が執筆した随筆をもとに作られました。

昭和20年8月9日午前11時2分、広島に続いて2発目の原爆が長崎市に投下され、当時の長崎市の人口約24万人のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊しました。

永井医師は原爆投下の時間、爆心地に近い大学で被曝し、重傷を負いながら、被爆者の治療活動に従事しその時の記録を「長崎の鐘」という随筆に収めました。

その内容は、被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく市民たちの様子を克明に描いています。

永井氏はこの時妻を亡くしたうえ、自身も被曝し危篤状態に陥りました。そして奇跡的に一命をとりとめた後、原爆で瓦礫となった浦上天守堂亜から、これも奇跡的に無傷だった鐘を市民と共に掘り起こしました。

(画像出典:NHKエール)

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長崎の鐘という楽曲

「長崎の鐘」という楽曲は、サトウハチロー氏が作詞、古関裕而氏が作曲し、敗戦後の昭和24年に作られた歌です。

朝ドラでは主人公の裕一(古関裕而役)が、曲を書くために随筆を書いた永井氏に会いに行き、そこで長崎の鐘を実際に見る場面が描かれていました。

会いにいった裕一に、永井氏は「自分で見つけろ」「自分の贖罪のために曲を書いてほしくない」と厳しい言葉を投げつけます。

しかし、実際はドラマとは違い、古関裕而氏は永井氏本人に会ってはいません。会いに行く前に亡くなってしまっていたからです。

また、サトウハチローの詞には、原爆を直接描写した部分は全くなく、長崎だけではなく、戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂歌であり、打ちひしがれた人々のために再起を願った歌詞になっています。(この点はドラマと同じ)

曲は国民栄誉賞を受賞した国民的歌手・藤山一郎さんが歌って大ヒットし、 NHK紅白歌合戦でも歌われました。
(ドラマでは山藤太郎(藤山一郎役)を柿澤勇人が演じています)

ヒットの要因は当時40度の高熱を押してレコーディングした藤山一郎氏の歌が絶唱に聞こえ、感動を呼んだと伝えられています。

戦後復興にかける人々と藤山一郎氏の絶唱がヒットを生んだというなかなか良いお話しです。