平成には怪物がいた。その怪物は、昭和から平成と戦後70年以上も日本に棲みつき跋扈し続け、わがもの顔でのさばってきた。人は何度もその怪物を退治しようと試みたが、そのたびにその「怪物」は変幻自在に姿を変え、退治しようとする人たちを弄び、あざ笑うとゆうゆうと去った。
姿を消した怪物は、一度なりを潜めると呼べど叫べど出てはこない。人はこれまでこの怪物を捕まえることはできなかった。
1. 怪物の誕生
怪物の名は憲法9条。1946年(昭和21年)11月3日に生まれ、そして翌年の5月3日世に現れた。しかし、実質的に誕生したのは1946年(昭和21年)2月3日とも言われている。この日、いわゆる「マカーサーノート(または三原則)」と言われる覚書をマッカーサーが作成し、これをもとにGHQ民政局によってこの怪物が作られたからだ。国会で決議しているからアメリカからの押し付けではない、という意見もあるが、マッカーサーが怪物の卵とも言える「草案」を作ったという事実は変わらない。
2. 怪物の正体
怪物は2項で構成されている。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(1項)。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」(2項)。この2つの項の意味するところは次の3つ、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」、憲法第9条第2項前段「戦力の不保持」、憲法第9条第2項後段「交戦権の否認」、である。
怪物には「本体」の他に、対になる「前文」というものがある。前文の一部にいわく「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。つまり、自国の安全と平和を他国民に委ねるという摩訶不思議な一文である。この「平和を愛する諸国民」には中国も北朝鮮もロシアも含まれる。怪物はこの不都合な真実をひた隠しに隠し、表に出ないようにしてきた。そして何よりやっかいなのは、怪物の正体を巡って過去に国会や一般社会で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がされてきたが、いまだに正体が一体なんなのかがはっきりとわからないことである。わかっているのは正体を見極めようとすると、矛盾にぶつかるということだ。
怪物の正体を見極めようとした「政府解釈の矛盾」の一例を挙げると。
・9条では自衛権は放棄していないという解釈だが、「自衛戦争」はできるのか?
9条では「戦争を放棄」しているが、独立国が自然に持っている「自衛権」は放棄していない。しかし、自衛のための戦争「自衛戦争」はできないと解釈されている。
・自衛隊は戦力か?
9条では、「戦力の保持」を禁止しているが、政府は「自衛のための必要最小限度の実力を保持すること」は戦力ではないとしている。
・集団的自衛権は「自衛権」の範囲か?
国連憲章51条では「集団的自衛権」は、個別的自衛権とともに各国の固有の権利であると書いてあるが、政府見解では、集団的自衛権は憲法上許されないと解釈している。
・自衛隊は軍隊か?
「自衛隊は憲法における軍隊ではない」という考え方を政府は取っている。自衛隊は必要最小限度の「実力組織」という考え方を取っているが、国際法的には軍隊であるという立場をとっている。
3. 日本だけにいる怪物
これらの矛盾はもとより、世界広しといえど、自身の安全と平和を他国民に委ねると明記している怪物がいるのは日本しかない。そもそも、世界に憲法のある国は190数カ国、そのうちその姿を一度も変えていないのは20数カ国あるがいずれも小国であり、大国で70年も姿を変えていないのは日本だけである。同じ敗戦国のドイツは51回変えている。
ちなみに怪物を擁護している人たちが理想としている永世中立国のスイスでは、いまだに徴兵制があり、予備役兵は動員令の後48時間いつでも軍に動員することが可能である。スイス軍人は自宅に小銃を家に保管してあり、公の施設には弾薬が備えてある。つまり、非武装中立ではなく「武装中立」だ。武装中立はあっても非武装中立は現実にはなく、日本にいる怪物の存在は異質であることを教えている。
4. 昭和の時代に「怪物を退治しようとした人たち」
昭和の時代に、この怪物を退治しようとした人物が2人いた。鳩山一郎と岸信介だ。
鳩山一郎は1955年(昭和30年)、日本の独立確保という観点から再軍備と改憲を公約にしたが、改憲に必要な3分の2議席に達しなかった。また、改憲を試みるために小選挙区制中心の選挙制度の導入を図ったが、野党だけではなく与党内からも選挙区割りの反対があり実現には至らなかった。
岸信介は1957年(昭和32年)、岸は駐日米国大使に文書を送り具体的なシナリオを提示した。不平等条約という批判を聞く米日安保条約を改定した後に、戦争放棄と軍隊保有の禁止を規定した憲法を改定するという提案だったが、新安保条約を批准した後、その混乱の責任を取る形で岸は総理大臣を辞職した。
※(下)に続く